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このページでは、今年70周年を迎えたと同時に廃止となった川崎営業所の歴史を辿りながら、川崎営業所に関する出来事をデータや画像を交えながら綴っていきます。
川崎営業所は、惜しまれながら9月30日をもって廃止となりました。
川崎営業所は、府中街道に面しており、溝の口方面に少し行ったところには第二車庫もありました。
画像:川崎営業所にて
上:最終日、事務所横に掲出されていた垂れ幕
下:川崎営業所全景
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資料提供:O1000さま、PLせつなさま
参考文献:東急社内報「清和」
資料提供をしてくださったO1000さま、PLせつなさま、この場をおかりして深くお礼申し上げます。
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川崎営業所の歴史 |
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東急バスの歴史を辿れば、昭和4年3月17日に東京横浜電鉄が神奈川自動車合名会社を買収した2路線(東神奈川〜綱島、東神奈川〜川和)で神奈川営業所が運行していました。同時期には、目黒蒲田電鉄が大井町駅前〜東洗足間を運行していました。この2つの会社の路線が東急バスの起源とされています。
その後、吸収合併が繰り返され昭和14年には、営業所数が15となり中延、池上、神明、大森、下目黒、芝浦、エビス、中目黒、代々木、中野、大正、新丸子、神奈川、世田谷、淡島の営業所が存在していた。大東急時代のことです。
中でも川崎営業所に関連するところでは、溝ノ口乗合自動車が所有していた溝ノ口営業所が移転された新丸子営業所、神奈川営業所がその起源になります。
さらに、昭和23年には大東急再編成により小田急、京王、京急が分離し、淡島、目黒、不動前、高輪(一部)、池上(一部)、川崎の7営業所で出発しています。ここでは、もうすでに川崎営業所が登場しますが戦前に神奈川営業所と新丸子営業所が再編され川崎営業所として昭和15年に開設していると思われます。ちなみに、川崎営業所の開設年月日は昭和15年6月12日と記録されています。
当時は、神奈川県に存在する営業所は川崎営業所だけであり、神奈川県の路線の約80%をカバーしていました。
その後、神奈川県内の路線拡大に伴い、昭和37年に日吉営業所(昭和37年4月1日開設)、高津営業所(昭和37年10月20日開設)、新羽営業所(昭和41年4月1日開設)へ路線も順次移管され、現在の川崎営業所の管轄エリアに近い形となっていきます。
現在では、神奈川県内には、高津、川崎、新羽、青葉台、虹が丘、東山田と6つの営業所がありますが、その昔は川崎営業所が一手に路線を引き受けていたことになります。
近年では、トランセ化に伴う、路線移管があいつぎましたが、営業所の廃止が決定し、管轄の路線も平成22年5月、7月、10月に他の営業所に移管し、平成22年9月末をもって70年の歴史に幕を閉じることになりました。
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昭和53年当時の神奈川県内の路線図
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営業所の建物 |
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昭和15年6月12日に開設されて以来、川崎営業所の建物は使用され老朽化が激しかったことから昭和43年6月に改築されました。当時、戦前から設置されていた営業所の老朽化に伴い改築が順次進めれれていましたが、目黒営業所に続き改築が進められました。
鉄骨造の2階建ての建物は改築後から、その後も大きく変化することなくその姿を残していました。
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【現在の建物データ】
所在地 |
川崎市中原区小杉御殿町2−74 |
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敷地面積 |
3,347u |
建物 |
事務所棟680u、工場299u |
工事費 |
45,657千円 |
完成年月日 |
昭和43年6月 |
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管理人調べによる |
画像:川崎営業所にて
上:営業所入口の上に掲出され
ていた看板
下:事務所棟の全景
事務所の右側には、川崎営業所のバス停があり、塀と事務所の間の通路は一般の人も通り抜けできていましたが、平成22年9月30日の営業所廃止に伴い、それもできなくなっています。
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P2 |
■川崎営業所の路線の歴史 (作成中) |
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P3 |
■川崎営業所の車両たち (作成中) |
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P4 |
■川崎営業所「最後の日」 |
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P5 |
■さようなら川崎営業所 |
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