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大橋営業所の開設 |
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玉電廃止に伴い行われる代替輸送を行うには、1日1000回を超える輸送を確保する必要がありました。そのため、当時玉電の車庫であり、約10,000uを有する大橋車庫をバスの営業所として転用することになりました。しかし、玉電の廃止とともに営業所を開設するにはいくつかの問題がありました。 まず、1つめとしては玉電廃止日が5月10日とした際に、翌日から代替輸送が必要であったことです。これについては、玉川線が廃止後も現在の世田谷線が存続されることもあり、上町駅横にあった社有地に22両収納できる車庫を新設し、大橋車庫の敷地を少しずつあけて、工事を行っていくということで対応しました。 2つめとしては、需要に対応する車両の確保をいかにするかということです。そこでとられた対策としては、まずは新造車両を116両導入することでした。一挙に製造することが厳しい状況の中、各メーカーに協力を要請し対応することがてきました。そのため、開業当初は4メーカー(日産、いすゞ、日野、三菱)の車両が導入されていました。これらの車両は、そののち、各営業所に移籍され、日産・日野を中心とする営業所に変わっていきました。さらに、ラッシュ時に対応するための詰込みがきく車両も必要で、いわゆる「ラッシュバス」といわれる長尺であり三方シートである車両が導入されました。これらの車両は、当時1メーカーの納入実績がなく、他のメーカーに車両を作らせる際にエンジンのパワーアップやシャーシ、ボディーの延長など実績メーカーの仕様がいかされていました。 これらの課題もクリアし、昭和44年5月7日に大橋営業所が開設されました。玉電廃止の4日前となります。営業所開設時には、新造車両の116両のほか不動前営業所からの移籍の40両を加え156両という大所帯でした。さらに、玉電ダイヤの輸送を確保するため早朝深夜のダイヤも組まれることとなったため、東急バスとしては前例のなかった宿泊施設も設けられることとなりました。路線は、玉電代替路線のほか不動前営業所からの2路線も受持つこととなりました。
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開業当時の所管路線
系統 番号 |
路線名 |
系統 |
渋01 |
池尻 |
渋谷駅=三軒茶屋 |
渋02 |
用賀 |
渋谷駅=用賀折返所 |
渋03 |
渋谷駅=二子玉川園駅 |
渋12 |
深沢 |
渋谷駅=二子玉川園駅 |
渋13 |
渋谷駅=砧本村 |
玉06 |
砧 |
二子玉川園駅=砧本村 |
渋21 |
松蔭 |
渋谷駅=上町 |
渋41 |
品川 |
渋谷駅=大井町駅西口 |
反42 |
大橋 |
五反田駅=等々力操車所 |
黒02 |
清水 |
目黒駅=二子玉川園 |
黒03 |
目黒駅=砧本村 |
※開設当初、系統番号は付番されていませんでした。 |
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【在籍車両一覧】
メーカー |
ボディー |
形式 |
社番 |
大橋営業所に在籍していたRE140。オーバルライトです。 |
日産 |
富士重 |
4R92 |
221〜228(8) |
4R94 |
618〜622(5) |
4R110 |
323〜337、一部不明(17)
不明(3)
834〜840(7)
937〜967(31) |
金産 |
4R110 |
978〜982(5) |
北村 |
4R110 |
968〜977(10) |
三菱 |
ふそう |
B800M |
983〜1002(20) |
日野 |
帝国 |
RE140 |
1032〜1052(21) |
いすゞ |
北村 |
BU20D |
1023〜1031(9) |
川重 |
BU20D |
1003〜1022(20) |
( )内は台数、その他不明5両 昭和44年5月開設時(管理人調べによる)
開設時に導入された116両は、O937〜1052でそれ以外の車両は不動前営業所からの移籍車です。開設当初は、エンジンメーカーの4種類すべて車両が在籍していましたが、さらにボディーメーカーもバラエティーに富んでおり多数の形式がそろっていました。開業日前までに新造された新車は、88両が大橋営業所に収まりましたが、残りの28両は切り替え時のみ高津営業所に収容しつつ運行が行われました。
【営業所概要】
開設年月日 |
昭和44年5月7日 |
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所在地 |
目黒区大橋1−9−10 |
敷地面積 |
10,076u |
建物面積 |
765u |
工場面積 |
450u (昭和47年に225u増築) |
建設費 |
8,420万円 |
車両数 |
156両 |
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玉電代行輸送路線 |
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玉電代行輸送の開始には、もうひとつ大きな課題がありました。それは、渋谷駅の路線発着をどこでするかということでした。当時、渋谷駅の路線バス運転回数は5,000回を超え、さらに1,000回を超える発着を行うことは、かなり困難な状況であったようです。都電の廃止で使用しなくなった場所もその代行バスの発着が行われるため使用できませんでした。そこで考案されたのが、玉電渋谷駅の跡地に道路を敷設し、ターンテーブルを設置することで対応する案でした。平成7年まで渋41が発着していたバス停です。この場所は、渋41のほか渋55や東急本店ゆき送迎バス、歩行者天国実施時の渋24・25・26、夜間高速バスが使用していました。 代行輸送は、玉電が廃止された翌日の昭和44年5月11日から実施されました。翌年からは、渋01直行、渋02急行、渋12急行が設定されました。
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うえの画像は、蒲13さんからご提供いただいている玉電廃止のチラシに書かれている代行バスの案内です。増発バス運行系統として、渋谷駅発着路線が掲載されていますが、その運転間隔と始発終発の時間をみるに今では考えられないほどの頻度と深夜早朝の時間帯での運行であったことがわかります。どの路線も玉電のダイヤと同じ輸送量を確保するための措置で、いまでは深夜バスの時間帯となる23:00以降も24:40まで通常運行がされていました。 所要台数を出すための算定基礎では、定員90名とした際、渋谷〜新道〜二子玉川園間228回28両、渋谷〜旧道〜二子玉川園間43回及び渋谷〜用賀間182回をあわせ28両、渋谷〜上町間156回16両、渋谷〜三軒茶屋間393回40両、二子玉川園〜砧本村100回4両となり計1,102回116両が必要となっていたようです。
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こちらの画像も同じチラシに掲載されていたものですが、路線図とのりば案内があります。今では、東急バスとしては渋71・72・ハチ公バスのみの発着となっている渋谷駅東口も数多くの路線が乗り入れていました。 画像では、溝の口操車所(渋04)、用賀・二子玉川園駅(渋02・03)、二子玉川園駅・砧本村(渋12・13)、二子玉川園駅・向が丘折返所(渋12・14)、新宿駅東口・野沢竜雲寺(宿97)、五反田駅(渋72)、砧公園跡地・桜新町(渋73)祖師谷大蔵(渋74)、洗足駅・洗足池(渋71)ののりばが掲載されています。 渋01は、南口ターミナルから発着していましたが、33番・34番・35番のバス停が使用されていました。今から考えれば当たり前といえば当たり前ですが、さぞかしすごい光景だったと思います。
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【玉電代行路線】
系統 |
路線名 |
運行区間 |
km数 |
運転回数 |
渋01 |
池尻 |
渋谷駅=三軒茶屋 |
4.4km |
214回 |
渋01直通 |
渋谷駅(直通)三軒茶屋 |
4.4km |
68.5回 |
渋02 |
用賀 |
渋谷駅=用賀折返所 |
km |
106回 |
渋02急行 |
渋谷駅(急行)用賀折返所 |
km |
16回 |
渋03 |
渋谷駅(桜新町経由)二子玉川園駅 |
10.0km |
80.5回 |
渋12 |
新道 |
渋谷駅=二子玉川園駅 |
9.5km |
163.5回 |
渋12急行 |
渋谷駅(急行)二子玉川園駅 |
9.5km |
79回 |
渋13 |
渋谷駅=砧本村 |
11.8km |
32回 |
玉06 |
砧 |
二子玉川園駅=砧本村 |
2.3km |
90回 |
黒02 |
清水 |
目黒駅=二子玉川園 |
8.9km |
回 |
黒03 |
目黒駅=砧本村 |
11.4km |
回 |
渋21 |
松蔭 |
渋谷駅=上町駅 |
5.8km |
156.5回 |
※昭和47年4月現在
玉電代行輸送系統とされるのは、上記の路線ですが開始当初は一手に大橋営業所で運行していました。翌年の5月18日から渋01直行、渋02急行が追加で設定されました。また、9月15日には黒02・03が目黒に移管となりその代わり宿97が大橋の所管となり路線をトレードする形となりました。 246を走る路線としては、ほかにも多数ありましたが、渋04(溝の口線)渋谷駅=溝の口操車所、渋14(久地線)渋谷駅=向が丘遊園駅などの上記路線を補完する路線もありましたが、こちらは高津営業所の管轄で代行輸送の位置づけではありませんでした。
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