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このページでは、東急バス黄金時代とも言える昭和40年代の中でも、一番大きな出来事であった玉電代行と大橋営業所開設について、当時を振り返ります。
玉電代行輸送が実施されていた昭和40年代後半から昭和50年代前半は、渋谷駅にあふれんばかりのバスがバスターミナルにやってきていました。現在の西口バスターミナルのみならず東口も相当数のバスが発着しておりひっきりなしにバスがやってきていました。 現在は、その後の路線再編も多くありすっかりその数も減っています。しかし、渋谷バスターミナルは東急バスのシンボル的存在です。 玉電廃止の経緯から大橋営業所廃止までの一連の出来事を画像を交えながら紹介していきます。
画像:大橋にて撮影(渋41撮影) 撮影時期昭和40年代? 真ん中に写っているのは、「渋04 溝の口駅」行きです。懐かしい4R110 一つ目ライトの長尺車(いわゆるラッ シュバス)が大橋の交差点を走り抜け ていきます。
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資料提供:イーチコさん、蒲13さん、リゾート☆おぐさん
参考文献:「新玉川線建設史」、「鉄道ピクトリアル1977年6月臨時増刊号」、「玉電が走った街 今昔」、「東京急行電鉄50年歴史」
資料提供をしてくださった皆様、この場をおかりして深くお礼申し上げます。
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玉電廃止の経緯 |
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現在の東京急行電鉄の前身である玉川電気鉄道(資本金40万円(当時では、巨額の資金で地元の富農層だけではまかなえず、大都市の資本家たちも出資した。))が明治36年に設立され、4年後の明治40年に特許区間(渋谷=玉川)の全線が開業しました。これが東急玉川線のはじまりです。創業時には、定員40名の2軸車10両で運転がされていました。 その後、大正から昭和にかけて砧線・世田谷線・天現寺線・中目黒線・溝の口線と路線を拡大し、庶民の足としての時代を築いていました。しかし、昭和30年代になると道路混雑が激しくなり、玉川線の正常な運転が困難となって行きました。当時は、「ジャマ電」などと揶揄されるようにまでなりました。国道246号線もその頃、拡張されさらに交通量も増えていくことになります。そんな時代に、高速鉄道建設や首都高速建設の計画がされることとなります。
昭和30年代といえば、昭和39年に開催された東京オリンピックに関する整備がされた時代であり、沿線の状況も大きく変わろうとしていた時代です。 |
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玉電廃止時のチラシの表紙 資料提供:蒲13さん |
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高速鉄道の建設は、昭和20年から構想があったようですが、多摩田園都市が誕生し、世田谷の中心部を横断する基幹鉄道としての役割が期待され、昭和43年、都市交通審議会の11号線(日本橋蛎殻町(現:水天宮前)=二子玉川園)の必要性が認められるとの答申が出されました。 そこで高速鉄道が地下鉄の新玉川線として、建設されることとなりますが、同時に首都高速建設のため道路中央部に、支柱工事が必要となり、やむなく現在の世田谷線を残しそれ以外は廃止されることとなりました。支柱工事がなければ、新玉川線開通まで玉川線を走らせることを計画していたようです。 昭和44年5月10日、新玉川線の開通を待たず廃止となりました。廃止に際し、昭和44年5月8日から10日までの3日間で「玉電のさよなら運転」(花電車が運転された)が実施されました。長年住民に愛された玉電も約60年の歴史に幕を閉じました。 玉電廃止後は、下高井戸=三軒茶屋が世田谷線となり、渋谷=二子玉川園・砧本村は、東急バスによる代替輸送を実施することになりました。代行輸送は、玉電廃止の翌日から実施されました。
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旧塗装が復活した引退間近の80系 平成12年12月29日撮影 |
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不動前営業所の廃止 |
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昭和15年7月に開設された不動前営業所は、大橋営業所の開設に伴い昭和44年5月6日に廃止されました。営業所廃止直後は、 東名急行バスの車庫(昭和44年6月〜昭和50年3月)として転用されましたが短期間でした。営業所のあった場所は、現在の不動尊参道 のバス停近くにある「イメージスタジオ109」のところにありました。
もともとこの不動前営業所も中目黒近くに営業所があった中目黒営業所からの移転により開設されたものです。主に山手通りを走る路線を 中心に管轄しており、大橋営業所開設時に車両とともに路線が移管されました。
【参考】東急バスデータ「不動前営業所」 |
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【営業所の基本データ】
所在地 |
目黒区下目黒2−24−2
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敷地面積 |
984.54u |
建物 |
196.49u |
開設年月日 |
昭和15年7月9日 |
車両数 |
40両 |
管理人調べによる
→ 不動尊参道を走る渋41
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【所管路線】
路線名 |
運行区間 |
km数 |
運転回数 |
移管先 移管日
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備考 |
清水 |
目黒駅=二子玉川園 |
8.9 |
83回 |
大橋 S44.5.7 |
現:黒02(清水線) |
大橋 |
五反田駅=等々力操車所 |
10.2 |
60回 |
大橋 S44.5.7 |
のちの反42(大橋線)
現:等11(祖師谷線) |
品川区役所 |
渋谷駅=権現町 |
10.4 |
167回 |
大橋 S44.5.7 |
現:渋41(品川線) |
新宿 |
新宿駅東口=野沢竜雲寺 |
10.5 |
− |
目黒 S39.5.11 |
のちの宿97・渋70・中目01(野沢線)
現:黒09(野沢線) |
駒沢 |
東京駅南口=桜新町 |
16.2 |
− |
弦巻 S34.3.3 |
のちの東80・恵33(駒沢線) |
小規模な営業所ながら品川区役所線を主力とする路線を受持っていました。新宿線や駒沢線といった都心乗り入れ都営バスと相互乗り入れの路線もありました。営業所廃止時には、3路線となり清水線、大橋線、品川区役所線が車両(40両)とともに大橋営業所に移管しました。車両は、日産車が主力だったようです。
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