東急バス研究室
   様々な角度から東急バスを検証
  TOP > 東急バス研究室 > 深夜バスの歴史 > 都市型の深夜バス登場

3 都市型の深夜バス登場

 神奈川エリアでの深夜バスが充実してきた頃、24時間眠らない街とも言われはじめた東京エリアでも路線が一気に新設されていきました。昭和62年から下記の系統が運行されるようになりあっという間に拡大していきました。注目すべきは、本数と片道輸送でないことです。東京都内の場合、単純に「家まで輸送」ではなく本数が多かったことから駅までは回送とせず深夜バスとして運行されています。

昭和62年11月2日から運行開始された路線
渋51 渋谷駅=若林折返所
渋谷駅→淡島
淡島
森04 大森駅=池上駅
大森駅→池上営業所
池上
森07 大森駅→上池上→大森駅
大森駅→池上営業所
池上
野沢線 渋谷駅〜(循環)〜世田谷野沢
渋谷駅→大橋
大橋
黒01 目黒駅=大岡山小学校
目黒駅→清水
目黒
その後、反02、渋21、コーチ自由が丘線も登場しました

 昭和62年の開設に追随するように、昭和63年より反02(五反田駅=池上警察署)、渋21(渋谷駅=上町)、コーチ自由が丘線(自由が丘駅=駒沢)などの路線があいついで開設されました。この頃は、路線開設前には、下のようなお知らせチラシが配布されていました。路線などによっても様々です。詳しくは、深夜バス開設チラシギャラリーをご覧ください。
 その後、平成3年には、渋41(渋谷駅=目黒駅)が開設されました。こちらも深夜バスならではの路線ですが、これに伴って深夜バス前に目黒駅行きも設定されました。この渋41深夜バスは、乗客数が少なかったことから減便、そして廃止となっています。なお、この時に使用されていた目黒方面の大鳥神社のバス停は、協和銀行前にありましたが、路線廃止とともに撤去されましたが、黒09開設時に同じ場所で復活を果たしています。


 この時、渋谷駅発着の路線は渋51のほか無系統の野沢龍雲寺ゆきも運行されました。この無系統の路線は、新設された路線で渋31と渋32の路線をあわせたような路線で登場しました。しかも「循環」でしたので当時は斬新だったように感じました。なお、都内の深夜バスでは土曜日の運行はありませんでした。
 
現在は、ルートも変更され渋32深夜バスとして運行されています。ちなみに所管も大橋営業所から下馬営業所(トランセ管理委託)へ平成11年に移管されています。

→昭和62年11月開設前に作られたチラシです。この頃はよくこの手のチラシが配布されていました。

深夜急行バスの登場



東急バスでは、昭和63年から夜間高速バス(平成10年に撤退)の運行もしていましたが、田園都市線、東横線の終電後の足として一般路線よりも長距離の電車代替的な路線として深夜急行バスが平成元年から登場しました。この路線は、これまでの深夜バスと違い観光用のバスを使用し、より快適な足として登場。距離も比較的長いため料金も別設定のものとなりました。
 しかし、同じ距離をタクシーで移動した場合と比較にならないほどの料金設定となっており、利用者を着実に増やしていきました。登場当初は、深夜急行バス用に転用された観光車が使用されていましたが、ロマンス車が使用されていくようになっていき現在の姿となっています。


画像は、TA473がNIGHT ALLOWに充当中のものです


 まず、はじめに高速青葉台線が平成元年に開通しました。右の画像は開設時に配布されたチラシです。愛称も「MID NIGHT ARROW」と名づけられましたが、これは東急だけでなく各バス事業者で深夜急行バス共通の愛称となっています。しかし、他社では路線自体が廃止など再編されていて「MID NIGHT ARROW」というと東急バスのイメージが強くなっています。






路線名 系統 担当 開設年月日
高速青葉台線 渋谷駅→青葉台駅 青葉台 平成 元年7月 3日
高速新横浜線 渋谷駅→新横浜駅 新羽 平成 2年 3月 1日
高速溝の口線 渋谷駅→溝の口駅 高津 平成 2年 6月18日
高速ニュータウン線 渋谷駅→仲町台駅 東山田 平成15年12月16日

    < TOP  < 東急バス研究室 < 前の記事  次の記事 >