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淡島営業所のバスロケーションシステム実験運行のあとは、しばらく東急コーチというデマンドバスの運行開始が相次ぎました。
昭和末期になると昭和59年に都営バスが運行開始した「都市新バス」(新交通システム)の運行開始を皮切りに全国各地でバスロケーションシステムの運行開始が進みました。東急バスでは都営バスにつづいて、昭和61年3月に関東の民鉄バス会社としては、はじめての導入となる目黒通りを中心とする路線に「新交通システム」が導入されました。
東急バスでは、この新交通システム導入にあたり昭和60年9月に右の画像の新型車両(いわゆる 109車以下「109車」)21両導入と既存車両に新交通システム対応化改良を94両に実施し、合計115両で対応しました。所管営業所は、目黒営業所で弦巻営業所でした。
← 目黒駅で客扱い中の109車 M697
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東急バスの新交通システムは、都営バスがバスの位置を表示するものであったのに対し、バスが到着する時刻をリアルタイムに表示するのがウリでした。このシステムは、利用者のバス待ちのイライラ感を解消することなどを目的として三菱電機が開発しましたが、6億7千万円の巨費が投じられました。運行管理機器は、目黒営業所に設置され集中管理されていました。
このシステムでは、運行の適正化(ダンゴ運転の解消)を主な目的とし等間隔運転や折返しによる運行調整などを行えるものでした。また、車内のディスプレイ(電子スターフ)ではそれに対応するためのダイヤの表示やバスターミナルでの方向幕の自動巻取りなども取り入れられました。
新交通システム導入路線は、下記の路線でしたが目黒営業所は全車両に機器が搭載されていました。車上アンテナにより営業所からの情報の受信や現在位置の発信などが行われていました。
新交通システム導入前の目黒営業所では、4RやRE、BUなどがメインの車両であり、冷房化率はほかの東急バスの営業所と比較し低かったです。特に黒01などは、目黒営業所のメイン路線でありながら最古参の車両を主に充当する路線でした。しかし、109車導入の少し前から最新車両を多く導入する路線となり、さらに昭和60年に109車が導入されてからは、飛躍的な車両のグレードアップが図られました。
当時、方向幕は白地に系統番号が緑というのが一般的で109車が青い方向幕で登場したのは、インパクトがありました。これがロマンス車のハシリとなり、翌年から各地にロマンス仕様の車両が導入されるようになりました。
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↑ 東急からのお知らせNO.34 昭和60年12月号
画像をクリックすると大きな画像が見れます。 |
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109車が導入される前日、廃車処理がされ 回送を待つ4R105。 目黒営業所には、M1136〜1140の5台が 在籍していましたが109車と代替されました。
109車導入前後の目黒営業所車両配置表 (↑上をクリックすると見えます) |
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【導入路線】
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系 統 |
所 管 |
黒01 |
目黒駅=大岡山小学校 |
目黒 |
黒02 |
目黒駅=二子玉川園 |
目黒 |
黒03 |
目黒駅=砧本村 |
目黒 |
黒05 |
目黒駅=成城学園前駅 |
弦巻 |
黒06 |
目黒駅=三軒茶屋 |
目黒 |
黒07 |
目黒駅=弦巻営業所 |
弦巻 |
東98 |
東京駅南口=等々力 |
目黒 |
※東98は、将来導入予定となっていましたが、新交通システムとしては結局導入されませんでした。
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↑ 新交通システム導入時に配布されたリーフレット(表)
画像をクリックすると大きな画像が見れます。 ↓ 新交通システム導入時に配布されたリーフレット(裏) |
このシステムが導入された昭和60年代は、神奈川県内は多摩田園都市の開発に伴い、乗客数が急増していたのに対し、都内では毎年3〜4%の減少をしていました。(それでも1日45万人の輸送がありました。現在は、1日38万人)
東急バスの中では、主力の目黒通りの路線にこのシステムを導入したのはそれなりの意気込みがあったのでしょう。導入後は、その効果もあり2年後には約2%の乗客数増につながりました。また、運行管理の機械化、営業所事務処理の機械化など東急バスとしては、一定の効果が出ました。
管理人は、地元の目黒営業所の路線にはお世話になっており、その変化の様子は今でも記憶に残っています。なかでもリアルタイムの時刻表示は、渋滞時などかえってあだになり適切な表示をするため、時刻がその都度かわったりしていたのを記憶しています。
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