東急バス研究室
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SERIES 4 新交通システムからバスナビゲーションへ




 現在、主流のバス接近表示システムの「バスナビゲーション」もそれまでの歴史は長く、様々な試みがされてきた集大成といえます。
 そもそも、「バスロケーションシステム」という発想が出てきたのも「バスが時間通りに来ない!」というところにあります。高度経済成長期であった昭和40年代に高速道路の建設やマイカーの普及率上昇が急速に進み、貨物輸送も鉄道から自動車へと変化するなど、道路の交通量も大きく増加しました。その結果、「交通渋滞」という大きな問題が出てきました。いわゆる「モータリゼーション」は、日本語に直すと「車社会化」ということになりますが、日本のモータリゼーションは昭和40年代から急速に進んでいきました。
 そんな中、利用者にとってのバスはなかなか来ないので電車で移動というような雰囲気すら出てきました。オイルショックが起こった昭和48年頃は、その傾向はますます顕著になっていました。その頃、国(運輸省)においても様々な交通施策を打ち出していました。その中でバスに関する内容としては、大量輸送の試み(補助金投入による大都市用モデルバスの開発(日野RE100 12m、3ドア、低床・低ステップ等の仕様)、バス専用レーンの設定、そしてバスロケーションシステムの開発などでした。
 東急バスでの試みは、大都市用モデルバスの試験走行(渋01で運行)のほかバスロケーションシステムへの取組みもありました。このページでは、このバスロケーションシステムから始まったシステムの変遷を辿っていきます。


画像は、新交通システムで導入されたバス停です。このタイプのバス停は、主要なバス停のみの設置でした。
現在も無線システムに変更はされたもののその姿は残っています。

淡島営業所でのバスロケーションシステムの試み

 東急バスでのはじめての試みということでは、国の補助事業の一環として昭和48年11月1日から淡島営業所の路線でバスロケーションシステムの実験運行になるかと思います。東京急行電鉄発行「東急のバスたち(電車とバスのなんでもシリーズその2)」では、当時の画像が掲載されています。基本的なシステムは、車両にアンテナをつけ、バス停でバスの接近表示がされるのは、その後の新交通システムと共通する部分が多いです。その画像をみると運転席の下には計器が取り付けられているほか車上アンテナの設置、バス停の表示器の様子が見れます。
 この実験がどの程度継続されたかは、管理人が調べた範囲では不明です。2年後の昭和50年12月に東急コーチが開設された際には、デマンドシステムが導入されていることから、何らかのデータが活用されたのではないかと推測します。
 その後、昭和53年5月からは、こちらも国の補助事業として新宿駅西口を中心とするバスロケーションシステムが導入されています。東急バスでは、その頃新宿駅乗り入れの路線は、「宿91」(駒沢営業所担当)がありそれに対応していました。そのため、駒沢営業所の車両には、いわゆる新宿アンテナが搭載されていました。駒沢営業所が廃止された昭和58年度導入の新車であったK505にも搭載されていましたが、その後弦巻営業所へ移籍後も使用しないにもかかわらず搭載されておりさらには、函館バスに転籍してもそのままの状態でした。今では、それらの車両も姿を消し面影もなくなっています。


目黒営業所の新交通システム導入


 淡島営業所のバスロケーションシステム実験運行のあとは、しばらく東急コーチというデマンドバスの運行開始が相次ぎました。
 昭和末期になると昭和59年に都営バスが運行開始した「都市新バス」(新交通システム)の運行開始を皮切りに全国各地でバスロケーションシステムの運行開始が進みました。東急バスでは都営バスにつづいて、昭和61年3月に関東の民鉄バス会社としては、はじめての導入となる目黒通りを中心とする路線に「新交通システム」が導入されました。
 東急バスでは、この新交通システム導入にあたり昭和60年9月に右の画像の新型車両(いわゆる 109車以下「109車」)21両導入と既存車両に新交通システム対応化改良を94両に実施し、合計115両で対応しました。所管営業所は、目黒営業所で弦巻営業所でした。

← 目黒駅で客扱い中の109車 M697



 東急バスの新交通システムは、都営バスがバスの位置を表示するものであったのに対し、バスが到着する時刻をリアルタイムに表示するのがウリでした。このシステムは、利用者のバス待ちのイライラ感を解消することなどを目的として三菱電機が開発しましたが、6億7千万円の巨費が投じられました。運行管理機器は、目黒営業所に設置され集中管理されていました。
 このシステムでは、運行の適正化(ダンゴ運転の解消)を主な目的とし等間隔運転や折返しによる運行調整などを行えるものでした。また、車内のディスプレイ(電子スターフ)ではそれに対応するためのダイヤの表示やバスターミナルでの方向幕の自動巻取りなども取り入れられました。
 新交通システム導入路線は、下記の路線でしたが目黒営業所は全車両に機器が搭載されていました。車上アンテナにより営業所からの情報の受信や現在位置の発信などが行われていました。
 新交通システム導入前の目黒営業所では、4RやRE、BUなどがメインの車両であり、冷房化率はほかの東急バスの営業所と比較し低かったです。特に黒01などは、目黒営業所のメイン路線でありながら最古参の車両を主に充当する路線でした。しかし、109車導入の少し前から最新車両を多く導入する路線となり、さらに昭和60年に109車が導入されてからは、飛躍的な車両のグレードアップが図られました。
 当時、方向幕は白地に系統番号が緑というのが一般的で109車が青い方向幕で登場したのは、インパクトがありました。これがロマンス車のハシリとなり、翌年から各地にロマンス仕様の車両が導入されるようになりました。


  ↑ 東急からのお知らせNO.34  昭和60年12月号
  画像をクリックすると大きな画像が見れます。

 109車が導入される前日、廃車処理がされ
回送を待つ4R105。
 目黒営業所には、M1136〜1140の5台が
在籍していましたが109車と代替されました。

 109車導入前後の目黒営業所車両配置表
    (↑上をクリックすると見えます)

【導入路線】
系  統 所 管
黒01 目黒駅=大岡山小学校 目黒
黒02 目黒駅=二子玉川園 目黒
黒03 目黒駅=砧本村 目黒
黒05 目黒駅=成城学園前駅 弦巻
黒06 目黒駅=三軒茶屋 目黒
黒07 目黒駅=弦巻営業所 弦巻
東98 東京駅南口=等々力 目黒
※東98は、将来導入予定となっていましたが、新交通システムとしては結局導入されませんでした。
↑ 新交通システム導入時に配布されたリーフレット(表)
画像をクリックすると大きな画像が見れます。

新交通システム導入時に配布されたリーフレット(裏)

 このシステムが導入された昭和60年代は、神奈川県内は多摩田園都市の開発に伴い、乗客数が急増していたのに対し、都内では毎年3〜4%の減少をしていました。(それでも1日45万人の輸送がありました。現在は、1日38万人)
 東急バスの中では、主力の目黒通りの路線にこのシステムを導入したのはそれなりの意気込みがあったのでしょう。導入後は、その効果もあり2年後には約2%の乗客数増につながりました。また、運行管理の機械化、営業所事務処理の機械化など東急バスとしては、一定の効果が出ました。
 管理人は、地元の目黒営業所の路線にはお世話になっており、その変化の様子は今でも記憶に残っています。なかでもリアルタイムの時刻表示は、渋滞時などかえってあだになり適切な表示をするため、時刻がその都度かわったりしていたのを記憶しています。


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