東急バス研究室
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mm SERIES 6 東急コーチの歴史
  

 当時、業界初の登場となったデマンド方式を採用されて注目された「東急コーチ」が、登場して早30年が経過しました。これまで、東急コーチは様々な変化を遂げ現在5路線にまでその数を増やし、成長しています。
 しかし当時、新鮮だったコーチカラーも一般路線化から塗色変更が始まり、その姿を少しずつ数を減らしついに、平成18年春で消滅しました。

 この特集では、東急コーチの誕生から現在までの歴史をたどりその役割を考えて行きます。


← 撮影:駒沢営業所(昭和51年頃)
       (渋41撮影)


 

東急コーチの誕生


 東急コーチは、昭和50年12月24日に業界初となるデマンドバスとして、コーチ自由が丘線(自由が丘駅〜駒沢間3.9Km)が開設されました。
 この路線は、路線バスの利用客が年々減少していた頃、利用客増加を目指し路線バスの活性化を目的に設定されました。「COACH」とは、もともと乗り物という意味でありますが、迂回ルートの設定やコール方式の採用など当時の最先端を行く乗り物でした。

 車両に関しては、このシステムを開発したのが三菱電機ということもあり、観光マスクの三菱中型車B623B(右の画像参照)5両を新製し、運行を開始しています。運賃は、一般の路線が70円という時代に120円という設定であり、車内のシート(ロマンスシート)はもちろんのこと、冷暖房完備(東急バスでは、一般路線車への冷房装備は、遅かったため当時画期的だった)などの豪華装備でした。
 コーチ自由が丘線は、開設当初の利用者が一日平均約2,000人でしたが、10年後には約2倍まで順調に利用者数を増やしていきました。初代の車両も昭和60年には、MK517Fに置き換えられ8両体制になり、さらに平成13年には、現在の赤一色のHRに置き換えられすでに3代目となっています。

   東急コーチ誕生時のパンフレットより
コーチ運賃の変遷
年月 運賃
昭和50年12月 大人120円
昭和52年5月 大人140円
昭和55年9月 大人160円
昭和57年10月 大人180円
昭和59年12月 大人200円
平成5年4月 大人230円
平成12年10月
(自由が丘線のみ、その他は平成13年3月から)
大人210円
東急コーチ自由が丘線は、その後に進化を遂げ現在のように一般路線化及びトランセ移管がされています。利用者数は、開設当初から常に増加し今もなおその傾向は変わっていません。今後、どのような進化を遂げるのでしょうか。
 東急コーチの運賃は、一般路線の運賃が80円の時代に120円でした。その後、運賃改定の際にコーチ運賃も改定されてきましたが、平成12年10月の一般路線化に伴い、運賃も統一されました。
 コーチ自由が丘線の管轄は、開設当初は駒沢営業所でした。終点の駒沢は、駒沢営業所での折り返しを行っていました。
 昭和59年3月に駒沢営業所が廃止されるのに伴い、弦巻営業所へ移管されます。昭和63年からは、深夜バスの運行も開始されました。


コーチ自由が丘線の変遷
年月日 区間 担当 備考
昭和50年12月24日 自由が丘駅〜駒沢 駒沢 開設
昭和59年3月16日 自由が丘駅〜駒沢折返所 弦巻 駒沢営業所廃止に伴う移管
昭和63年3月16日 自由が丘駅〜駒沢折返所
弦巻 深夜バス運行開始
平成11年9月1日 自由が丘駅〜駒沢折返所 瀬田 瀬田営業所へ移管
平成12年10月2日 自01 自由が丘駅〜駒沢四丁目
瀬田 一般路線化駒沢折返所廃止に伴うルート変更
系統番号付与
平成12年11月27日 自01 自由が丘駅〜駒大深沢キャンパス前
自01 自由が丘駅〜瀬田営業所
瀬田 行き先変更、停留所名変更、ダイヤ改正
瀬田営業所ゆき新設iモードによる運行情報配信開始
平成13年5月16日 自01 自由が丘駅〜駒大深沢キャンパス前
自01 自由が丘駅〜瀬田営業所
瀬田 トランセ瀬田に運行委託開始
平成14年10月16日 自01 自由が丘駅〜駒大深沢キャンパス前
自01 自由が丘駅〜瀬田営業所
自02 自由が丘駅〜東京医療センター
瀬田 自02新設
平成18年12月16日 自01 自由が丘駅〜深沢一丁目〜駒大深沢キャンパス前
自01 自由が丘駅〜深沢一丁目〜瀬田営業所
自02 自由が丘駅〜エーダンモール深沢〜駒大深沢キャンパス前
自02 自由が丘駅〜エーダンモール深沢〜瀬田営業所

自11 東京医療センター→深沢一丁目→自由が丘駅
自12 自由が丘駅〜エーダンモール深沢〜東京医療センター
瀬田 系統番号再編

東急コーチのシステム

東急コーチの一番の特徴であるデマンドシステムは、利用者を増やすための装備がされていました。
通常ルートと迂回ルートが設定され、迂回ルートにはコールボックスが設置されていました。
コールボックス
迂回ルートのバス停に設置されたバス停で、呼び出しボタンや利用者にお知らせする表示類がついていました。コールボックスにある呼び出しボタンを押すと2分以内にバスが到着するというのが開設当初のウリでした。
右の画像のコールボックスは、自由が丘線、鷺沼線で使用されていました。その後の開設路線のコールボックスの形状は、改良型のスリムなものでした。
コーナーポスト
コールボックスで呼び出しがあることを運転手に知らせるため、バス停上に設置されていたボックス状のものです。コールボックスとは有線でつながれていてランプで表示する装置がついていました。
フリー降車区間
現在もみたけ台線などでは、採用されていますが当時は画期的なシステムでした。フリー降車区間では、ブザーボタンを押すことでどこでも停車可能な場所で停車してくれます。この沿線に住んでいる人であれば家の前でとまってくれるのでタクシー感覚で利用できます。狭隘な高級住宅街を走るバスならではの発想であったのではないかと思われます。
行き先案内盤
車内に設置されていたもので、バス停の位置表示をランプで知らせるものでした。迂回ルートを走行する際は、ルートの表示も変わるもので2代目コーチや瀬田営業所の初代ロマンス車でも採用されていました。
電話による呼出
コールボックス同様、電話により呼び出しを行うと迂回ルートにバスがやってくるシステムも導入されていました。
バス接近表示
LED表示でバスの接近をお知らせする表示器が、主要ターミナルには、設置され音声によるアナウンスもするバスロケーションシステムもいち早く導入されていました。
傘の貸出
利用者のためのサービスとして、車内に使い捨ての傘を装備し貸出を行っていました。

上の画像:自由が丘線開設時のパンフレットより
下の画像(左):一般路線化される直前に撮影したコールボックス
下の画像(右):一般路線化される直前に撮影したコーナーポスト




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