東急バス研究室
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青葉営業所の新設


 田園都市線沿線の路線は、昭和56年までは一手に高津営業所が担っていました。そのため、回送キロも相当数あり始発、終発の時刻にも大きく影響していました。昭和52年に新玉川線が開通したことや田園都市線の沿線住民が増加したこともあり、需要も増加傾向になっていました。そのため、青葉台営業所を開設するための計画がされました。青葉台営業所開設までには、住民への理解を得るために3年を要したため昭和56年6月に開設することとなりました。この営業所開設により終発が2時間45分も延長される路線もでるなど営業効率もあがることとなりました。


【開設当初の営業所基本データ】  

所在地 横浜市青葉区さつきが丘7
敷地面積 5,861.00u
開設年月日 昭和56年6月23日
従業員数 118人
車両数 51両
昭和56年6月 管理人調べによる

向かって左側に見える東急コーチは、昭和56年9月30日に開設されました。
車両は、中延と高津からの移籍で、当初の51両を確保しました。

【開設当初の青葉台営業所所管の路線】

系統 路線名 運行区間 営業キロ 備考
- 荏田中山 青葉台駅=青葉台営業所 新設
- 鴨志田 青葉台駅(成合)市が尾駅 6.1km 高津営業所より移管
- 青葉台循環 青葉台駅(小回)青葉台駅 2.4km
- 青葉台駅(大回)青葉台駅 3.6km
- 青葉台駅(梅が丘)藤が丘駅 4.2km
- 青葉台駅(梅が丘)北八朔 4.8km
- 元石川 たまプラーザ駅(あざみ野駅)江田駅 2.3km
- たまプラーザ駅(美しが丘5丁目)江田駅
柿01 早柿 たまプラーザ駅(保木薬師前)柿生駅 8.0km
- たまプラーザ駅(保木薬師前)王禅寺 4.9km
柿05 柿生駅(早野)長津田駅 11.1km
柿06 柿生駅(早野)奈良町 7.6km
- 柿生駅(琴平下)王禅寺 4.0km
柿23 市が尾 柿生駅(早野)市が尾駅 7.0km
- 桐蔭学園前(上市が尾)市が尾駅 2.9km
- 市が尾駅(内回り)市が尾駅 8.2km
- 市が尾駅(外回り)市が尾駅 8.8km
- あざみ野 あざみ野駅(スポーツガーデン)虹が丘団地 4.1km
柿02 虹が丘団地(琴平下)柿生駅 4.6km
- 荏田中山 中山駅(川和町)江田駅 8.3km
- 川和高校(柚木谷)江田駅 4.1km
- 川和高校(川和町)市が尾駅 2.8km
- 青葉台駅(青砥)中山駅 5.5km
- 青葉台駅(田奈駅)奈良町 6.3km
管理人調べによる

車両配置の状況は、青葉台営業所開設時の車両配置表をご覧ください。



 田園都市線全般を受け持っていた高津の路線は、たまプラーザから長津田まで青葉台の管轄となりました。そのため、当時高津営業所には、104両が在籍していた車両が、移管後64両となり40両が減車されました。ただし、青葉台の開設当初の在籍が51両なので実質11両増強ということになります。
 高津の40両の行き先は、ある程度資料がありますが、管理人にとっては、今後の研究課題となっています。


右の図は、青葉台営業所開設時に配布された路線図(チラシ)です。
現在の路線網はベースにありますが、現在のものとは大きく変化しています。





路線再編に思う

 昭和50年代の再編は、大きな動きが3つありました。まず一番目は、昭和52年の再編。昭和52年は、新玉川線開通に伴う玉電代替輸送の再編。大幅に車両が減車されると伴に、走行キロも大幅に減少しています。また、長距離路線の分断なども行われました。二番目は、この昭和56年の再編。そして、三番目に昭和59年の再編。昭和59年には、駒沢営業所が20年の歴史に幕を閉じ、大橋、弦巻に車両と伴に路線が移管したほか、路線の廃止もありました。その後も大きな再編はありましたが、これほど大きな変化が続く年代は、昭和50年代の特徴と言えるでしょう。ある意味、黄金時代の終焉だったのかもしれません。その後は、車両のグレードアップや新交通システムの導入など利用者確保へなどが行われた時代になります。また、東京都内から神奈川県内への路線の比重が大きく変わっていきます。
 最近の再編(というか合理化)は、路線の廃止はないもののトランセへの移管や神奈川県内の輸送力増強、深夜バスの増強がメインです。都内の路線は、現状維持または縮小という状況ですが、今こそ昔廃止された路線を見直して復活や再編をしてみても良いのではと個人的には思います。


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